2024年 6月22日(土)と23日(日)に鹿児島大学郡元キャンパスで、日本記号学会第44回大会が開催されました。今年度の企画セッションは、簡便な遠隔配信を併用しつつ、対面開催となりました。
第44回大会のテーマは「貨幣の記号論──混淆する価値と意味ともの」です。2024年7月3日に予定されていた一万円札・五千円札・千円札の改刷、BRICSによる金本位制の復活と統一通貨の構想──石油とドルからなるペトロダラーシステムからの脱却──、SNS上での再生数やインプレッション数が金銭的利益に直結する状況、換言すればセンセーショナルな画像が富や資本となる状況。以上を踏まえれば、常にすでに複数の分野で議論されてきた貨幣をめぐる問題圏は、現在において複雑さを増しながら広がっていると言えるでしょう。
領域横断的な研究者が集まる記号学会ならば、こうした錯綜する状況に包括的にアプローチできるのではないかという見通しのもと、本テーマは設定されました。それを実際に支えたのは、「貨幣と鉱山と地域経済」「貨幣とデジタル社会」「〈物質=記号〉としての貨幣」の三つのセッションです。セッション1では物質や歴史と言った観点、セッション2では記号やメディア論といった観点から、セッション3では記号と物質の両方を併せ持つような観点から、議論が交わされました。「物質から記号へ、そして物質=記号へ」とセッションは進展したと言って良いかもしれません。
グローバルヒストリー、考古学、地域史、メディア論、視覚文化論、哲学、人類学、美学を専門とする登壇者たちから、各セッションで多様な論点が提出されました。東アジア・東南アジアにおける中国銭の流通や受容、薩摩の金(山)とそれを中心に成立した文化・経済圏、地域史と金山の関わり。ブロックチェーンや暗号資産、労働と貨幣の関わり、写真=貨幣論。貨幣の人間 - 技術論、負債、フェティシズム。これらは各セッションで言及された論点の一部に過ぎません。こうした複数の論点を貫くような形で、フロアとの質疑応答も積極的に行われました。一つだけ指摘しておくとすれば、フロアから出た贋金という論点は、第30回大会「判定の記号論」をめぐる発想や成果などを踏まえつつデジタル技術と絡めて、より大きな問題系に接続させることも可能でしょう。
今回の登壇者は、学会員を除くと、ほぼすべて鹿児島大学の関係者でした。本大会は「地方」の大学で研究者たちが積み重ねてきた成果の厚みや面白さ、知のインフラストラクチャーに触れる機会にもなったのではないでしょうか。
その後、10月8日には「情報技術とプラグマティズム」研究会の一環として「貨幣としてのイメージ/資本としてのイメージ」が開催されました。このように、今大会を開催後もさまざまに展開=変奏していただけることは、実行委員長としては望外の喜びです。
大会初日には懇親会が開催でき、大会終了の翌日の24日には有志でいちき串木野市にある金山蔵の見学もできました。以上を含む大会の運営には、会員非会員を問わず数多くの方々からご助力をいただきました。おかげで充実した大会となりました。ご参加・ご尽力いただきましたみなさまに改めて御礼申し上げます。
太田 純貴(鹿児島大学)