2021年11月27・28日、福岡市内の会議室および九州大学・大橋キャンパスを会場として日本記号学会第41回大会が開催されました。コロナ禍の影響により当初の計画から約3ヶ月の延期を経ての開催となりましたが、最終的に来場者の皆様とZoom参加による会員の皆様とのハイブリッド形式をとり、ゲストを迎えた3つのセッションはYouTubeでの一般配信を実施することもできました。これらは昨年の第40回大会以来のノウハウによって可能となったもので、実際に前回大会の実行委員長である河田会員をはじめ、理事会や実行委員会、スタッフを中心に多くの皆様に大変なご協力頂いたこと、この場を借りて心からお礼申し上げます。
今回のテーマもまた、そのタイトル「自然と文化のあいだ ── 生命を問いなおすvol.2」にあるとおり、前回大会の主題を引き継ぎつつ記号学会で頻繁に取り上げられてきた生命なるものを多面的に捉え直そうとしたものです。
第1セッション「自己死を遂げる細胞たち──生命科学の視座から」では細胞生物学者の吉森保氏をお招きし、細胞の自食作用を指すオートファジー研究について大変興味深いお話を伺いました。生物学では一般に細胞や組織、個体や種といった階層モデルが基準となりますが、なかでも細胞は自己死ともとれる自己破壊を経ることで組織や個体の存続を可能にしており、最近では若返りはおろか、死ぬことを知らない種が発見されているとさえ言います。こうして階層を横断しつつ生と死が互いを取り込むようなダイナミズムは、聞き手を務めた吉岡洋会員が指摘されたように、これまでの生命観──例えば、死に対置される生や、束の間の儚い生命──とは真っ向から対立するものであり、そのことを踏まえて会員の皆様とも積極的な質疑が交わされました。
2日目はまず、第2セッション「変異するテクノロジーとアート──エキソニモを迎えて」で、ニューヨークを拠点に世界的な活躍を見せるエキソニモのお二人にオンラインでのご登壇をお願いしました。展覧会「メディアアートの輪廻転生」や「UN-DEAD-LINK」など、こちらも生と死という主題を強く伺わせる活動を展開されているお二人ですが、そのための舞台となるのは細胞でも生物でもなく、インターネット以降の情報技術をユーモラスかつクリティカルに取り込んだ数々の作品です。エキソニモは実際にご自身の作品の展示、修復、改作によって生じた興味深い数々の事例を「変異」という観点から再考し、聞き手を務めた廣田ふみ会員とともに、昨今のメディア環境と私たちとの関係を捉え直すための刺激的な議論を展開されました。
最後に2日目午後は、人類学者の奥野克巳氏をゲストにお迎えし、檜垣立哉会員とともに第3セッション「人間ならざるものの生命──哲学と人類学の交差から」を開催しました。人新世やポストヒューマニティーズなど、人文学の分野でも最近では従来の種や個体としての人間中心主義を抜本的に再考するような動向が活発化しています。奥野氏からはご自身のフィールドワークやマルチスピーシーズ人類学の魅力的な議論のとともに、生命記号論やアニミズムがいかにして(再)注目され賦活されようとしているのか、それに呼応して檜垣会員からは、フランス哲学における非人間的なものへの着目がどのようにして現在の思想や人類学と結びつき更新されているのか、最後には前川修会長も加わって大変に興味深い議論が展開されました。
全体を通じてオンラインからも多くの会員の皆様にアクセスして頂いたことにより、研究発表セッションを含め、活発な議論を交わすことができたように思います。その基盤となったのも、わざわざ福岡までお越しくださった皆様と対面でのやりとりが実現できたことによるものであり、私自身も久しぶりの興奮を味わうことができました。と同時に、海外からのゲスト参加など、ハイブリッドだからこそ可能となる部分もあり、2日目に現地参加とオンライン参加の皆様と一緒にエキソニモの作品を体験できたことは、本大会を象徴するものであったようにも感じます。皆様には重ねてお礼申し上げると同時に、新型コロナウイルスによる閉塞感が少しでも改善することを祈りつつ、次回以降の大会を待ちたいと思います。
増田 展大(九州大学)