第36回日本記号学会大会「Bet or Die 賭博の記号論」は、5月21日・22日の両日、大阪大学人間科学研究科において開催され、三つのセッションと二日目午前中の分科会における六つの発表がおこなわれた。
一日目におこなわれたセッション1は「賭けることのロジック」と題され、哲学者の入不二基義氏(青山学院大学)の講演「偶然性と様相の潰れ」を中心にさまざまな質疑応答がおこなわれた。入不二氏は論理学的な様相論を検討するなかで、必然性と偶然性という二つの様相がかさなりあう現実性という位相の不可思議さについて論じられた。あわせて、賭けるということをそこでどのように定位するかについても大きな示唆をおこなっていただいた。続いて「賭ける瞬間/賭ける現場」と題されたセッション2では、宗教学者の植島啓司氏(京都造形芸術大学)、元関西テレビアナウンサーの杉本清氏、また特別参加で「競馬ブック」トラックマンの坂井直樹氏が参加し、植島と杉本氏との対談を中心に、また杉本氏のアナウンスによる過去の競馬実況をみながら、賭けるということにかんするさまざまな立場からの提言がおこなわれた。賭けの現場そのものは、賭ける者だけではなくそれをとりまくメディア・予想する者など多くのエージェントが重層的にはいりこんでおり、決して単純なものではない。とりわけ競馬という賭けにおいては競馬を伝えるということ自身が、それ自身賭けのような役割を果たしており、そうした多層性そのものの解明をさまざまな立場から明らかにすることができたかとおもう。また当日終わりには翌日曜日に東京競馬場で開催される牝馬三歳クラシック第二弾である優駿牝馬(オークス)の予想会が、阪大競馬サークルの協力のもとで行われ、ある種の賭けの現場的実践もおこなわれた。この日はともに檜垣が司会をつとめた。
二日目のセッション3は「ギャンブルのメディア論 麻雀・競馬・パチスロ」という題目で、賭けに関するメディア表象について、瓜生吉則氏(立命館大学)、吉村和真氏(京都精華大学)、吉田寛氏(立命館大学)におこなっていただき、また問題提起と司会には佐藤守弘氏(京都精華大学)にあたっていただいた。
瓜生氏には、おもにJRAを中心とした競馬広告メディア戦略とその特殊性、競馬に関する各種メディア(ロマンと感動の押し売り)、それと売り上げとの連関を、具体的な事例やデータを分析しながら、ギャンブルの表象の一例として発表していただいた。吉村氏には、パチスロ雑誌の歴史と現況を、見えないメディア(実際には相当部数の販売がなされているのに、コンビニの片隅で、あたかも目に入らないように置かれているある種の特殊なメディア)について分析をなしていただいた。吉田寛氏には芸術学・感性学の立場から賭けとゲームとの相違と差異、そこでの能動性受動性などによる分析をおこなっていただいた。
二日間を通じて、賭けるということについて、形而上学的、現場的、表象的な三つの方向性からの展開がなされた。全体として巧くかみ合ったかはなかなか難しかったかもしれないが、賭けるという、それ自身は人間の生にとってきわめて重要な現象について、多角的な方向からアプローチし、それを論理や表象の側面から検討できたことは日本記号学会としても意義のあったことではないかとおもう次第である。
檜垣 立哉 (大阪大学)